赤ちゃんからお年寄りまで安心して利用できる総合福祉サービスを提供する社会福祉法人

社会福祉法人 足羽福祉会 理事長
髙村 昌裕 氏
赤ちゃんからお年寄りまで安心して利用できる総合福祉サービスを提供する社会福祉法人

髙村昌裕氏は児童福祉サービスで4事業所、高齢者福祉サービスで3事業所、障害者福祉サービスで5事業所、相談支援事業で2事業所を擁し保育園から老人ホームまで施設を運営する足羽福祉会の理事長。「満足から感動へ」をモットーに職員の接遇向上に力を入れ、サービス実践報告会、第三者評価の受審など利用者様に対するサービスの質向上に注力している。

また、地域社会との取り組みも率先して実施し地域の行事や清掃活動への参加、地域支援センター職員の各戸訪問、地域ボランティアの積極的受け入れ、災害時の福祉避難所機能の検討などにも取り組んでいる。

そんな温かい眼差しの髙村理事長に今までの道のりを聞いてみた。

髙村 昌裕 氏

髙村 昌裕 氏
1970年 福井県生まれ。
東京都立大学卒業後、横浜市役所に入職
2004年 社会福祉法人 足羽福祉会に入職
2010年 理事長に就任。現在に至る

何のため、誰のために仕事をするのか常に自問する

髙村さんのご経歴について教えてください。

大学在学中に、子どもの冒険遊び場「プレーパーク」のプレーリーダーとして働き、児童虐待がみられる親子と関わったことが縁で福祉学科への編入を決断しました。
卒業後は横浜市役所で生活保護ケースワーカーを担当しました。
33歳で帰福し足羽福祉会足羽更生園に一般職として入職して今があります。

大学時代の就活はどんなものだったんですか?

率直に言って就活はあまりしていません。
ただ、大学を休学中に、2年にわたるヨーロッパ周遊や様々なボランティア、アルバイト経験を積んだことが、自分磨きと大きな自信につながりました。
結果として就活に必須の心構えは出来たと考えています。

横浜市役所での福祉職で勤務されたご経験は現在の職務にどのように活かされていますか?

障害、病気、就労など生活環境に課題を抱える子どもからお年寄りまでの要支援者の支援計画の立案と実行に携わったことで、サービス業としての福祉職の本質を知ることができました。
一つは要支援者一人ひとりへの敬愛です。
一人ひとりの生き様、価値観は、過去、現在、未来ともに違います。
そのことを理解しないで、支援者側の一方的な価値の押し付けはしないことです。
本人の求めや夢を理解し、支援方針を決定するよう職員には伝えています。
今一つは、福祉従事者の役割と心構えです。
生活困窮者への支援にあたり、現行法の解釈の仕方や運用方法の違いによって、その法に助けられたり苦しめられたりすることがあり、「何のため、誰のためにこの仕事をするのか」を自問する習慣がつきました。
その結果、今なお困難な対応が迫られるほど、自分たちの存在意義について確認しながら判断を行っています。

福井に戻られるきっかけはどのようなことがあったのでしょうか?

福井で社会福祉法人を経営していた父が病で倒れたことです。
大学時代は福祉の世界を自分の目で見て経験したいと様々なボランティア活動に参加しました。
横浜市に就職した際も様々な業種の経験を積もうと思っていました。
「いつでも帰れる」という気持ちでしたが親の病気を機に、親との話を重ねていく中で、「自分の責任と覚悟で、福井の福祉をよりよくしていきたい」との思いが膨らみ、帰福になりました。

人生の最終コーナーにかかわり、人生について学ぶ仕事

今後はどんな仲間と仕事をしていきたいと考えていますか?

一言で言えば、「学びを通して自分を成長させていける人」です。 まず福祉の「専門技術の学び」が大切です。 介護の分野では認知症に対する医学的見地に加え、臨床分野でのさまざまな取り組みによって、進行を防いだり、改善する例が見られ、メディアでも取り上げられる機会が増えてきています。
また障害の分野でも、障害の概念そのものが「個人と環境の相互作用」として再定義され、多様な効果的な取り組みも報告されるようになっています。
こうした専門技術の変化に対して常にアンテナを張り、「知らない」と済ませずに学び続ける姿勢が大切です。 もう一方で、「人からの学び」も大切です。
介護を受ける方たちは、認知症である前に一人の人として人生を歩んでこられています。
また障害をもたれた方にも、障害者である前に人として、障害児である前に一人の子どもとして、私たちは向き合う必要があります。
一人ひとりが示す純粋な表情や行動から、これまでの人生のあゆみ方から、またはご家族が抱えられるさまざまな思いからなど、一人ひとりの生き様にふれることで、福祉の仕事の理解が深まるのです。
職員の間で「介護の仕事ってなんだろう?」と話し合うときには、単に「食事、入浴、排泄の介助をする仕事」なのか、「人の人生の最終コーナーにかかわり、人生について学ぶ仕事」なのかを考えようと言っています。

面接などでポイントとなるところは何でしょうか?

「話し方」「態度」「表情」です。 そして何より、自分の言葉で語り、その内容が前向きであること。
「この人なら安心してサービス(介護や支援)を受けられるか」という利用者様目線に立って話を伺っています。

必須資格や必須経験はありますか?

保育園を希望する方以外は原則不問です。
利用者様が毎日の生活を安心して過ごすには、一緒にいて心が落ち着く人や楽しい人でしょう。
先ほど面接のポイントにあげたような接遇や行動レベルでの「人間力」の向上を目指してください。
そして、支援や介護に必要となる資格は、法人の取得支援制度を活用して計画的にチャレンジすることをお勧めします。

面接で必ず聞く質問はありますか?

これまでの経験の中で、一番苦しかったことを聞くようにしています。
どのように壁を乗り越えたのか、またその時に感じたことを具体的にお聞きすることで、その人らしさが見えてくるからです。

赤ちゃんからお年寄りまで、障がいの有無に関係なく安心して暮らせる共生社会を実現する

足羽福祉会のあるべき姿について伺いたいのですが。

平成29年には法人設立50周年を迎えます。
在職年数が長い職員は、当保育園を卒園した園児が保護者の立場になって子育て相談に来られた時、障害者施設の利用者様が高齢になり介護老人施設に入所された折に再会した時など、わが子の成長を見守るようにその気持ちを熱く語ってくれます。
そういう存在が、家族以外にどれだけあるかという視点が、福祉の充実を図る鍵だと思います。
当法人は、時代や制度が変わっても、利用者様と共にある「コミュニティ」であり続けます。
そのために、まずは職員自身の様々なライフスタイルに呼応できる労働環境の改善を今後とも進めていきます。

髙村さんの今後の展望をお聞かせください。

社会的弱者を救うことから広まった福祉は、今や一人ひとりが「よりよく生きる」ためと目的やその守備範囲が大きく変化しています。
当法人としては、生活拠点である「地域」にこだわり、近隣の人や企業、団体などとつながりを活かしながら、「地域」を住みよくする福祉活動として保育、支援、介護に取り組み、そこに住む人たちが「赤ちゃんからお年寄りまで、障がいの有無に関係なく安心して暮らせる共生社会」が実現するように、一歩一歩取り組んで行きたいです。

会社概要
社名社会福祉法人 足羽福祉会
本社〒910-2178 福井県福井市栂野町20-7
その他所在地足羽東保育園(福井市東大味町10-1-1)
あすわ就労支援センター(福井市栂野町20-5)
足羽学園・足羽更生園(福井市宿布町19-46-1)
あすわ相談支援センター(福井市成和1-1009-2)
あすわ地域生活支援センター(福井市栂野町20-5)
あすわ児童発達支援センター(福井市大和田1-1607)
愛全園(福井市丸山町40-7)、足羽利生苑(福井市栂野町20-7)
グループホーム美山(福井市美山町6-1)
従業員数432名
資本金1億5,516万円
売上高22億5,849万円
事業内容第1種社会福祉事業、第2種社会福祉事業、公益事業
URLhttps://www.asuwafukushikai.jp/
沿革
1968年社会福祉法人 知的障害児施設 足羽学園を設立。
1973年社会福祉法人 足羽福祉会に名称変更。
1974年足羽東保育園を設立。
1977年知的障害者更生施設 足羽更生園を足羽学園に併設。
1979年特別養護老人ホーム 愛全園を設立。
愛全園ユニット棟、グループホームを増設(2012年)
1986年知的障害者授産施設 足羽ワークセンターを設立。以降、関連事業所として、足羽サポートセンター(2008年)、パステル(2012年)、スマイル(2013年)を設立。
1991年足羽利生苑を設立。同苑ユニット棟(2010年)開設。
2013年子ども発達支援センター フレンズあすわを開設。
足羽川ふれあいマラソンを開催(公益事業)
2014年グループホーム美山を開設。事業所数は障がいのある方のグループホーム11箇所を加え25を超える
中山 喜雄 Nakayama Yoshio
素晴らしい理念を掲げていても実践がなければ意味がありません。
理念を理念で終わらせず、施設の枠を超えて実践していく理事長の熱意と地域社会をリードしていく足羽福祉会のスケールに圧倒されました。
福祉業界のイメージを覆すパワーと、日本の福祉の概念を変えていくスケール、その両方が髙村理事長にありました。